第3代アメリカ合衆国大統領であり、独立宣言の起草者であるトーマス・ジェファーソンが、黒人奴隷サリー・ヘミングスとの間に多くの子供をもうけていたことが、近年DNA鑑定によって証明されました。
本記事では、アメリカで最も威厳のある人物の抱えた大いなる矛盾とDNA鑑定について解説していきます。
目次
トーマス・ジェファーソンとは
トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)は、最も影響力のあったアメリカ合衆国建国の父の一人として常に高い評価を得ている人物です。大統領就任中には、ナポレオンからルイジアナ買収を買収したことで特に評価されています。
また、若き日のジェファソンは、ジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンらとともにアメリカ独立宣言を起草しました。
ジェファーソンは生涯を通して奴隷制度に反対していました。しかし、彼は200人を超える黒人奴隷を所有し、その中の1人サリー・ヘミングスと数人の子供をもうけました。
これまで「白いアメリカ」代表する存在であったジェファーソンのスキャンダルは長い間否定されてきましたが、最近になってDNA鑑定で奴隷愛人との血縁関係が証明されました。
アメリカの5セント硬貨と、2ドル札にもなっているので彼の肖像をみたことがある人も多いはずです。
サリー・ヘミングスについて
サリー・ヘミングスは、トーマス・ジェファーソンが所有する奴隷であり、ジェファーソンより先に死んだ妻のマーサ・ジェファーソンと血の繋がりのある異母姉妹の黒人女性です。
非常に白人に近い見た目で、トーマス・ジェファーソンの愛人奴隷として数人の子供をもうけたと言われています。アメリカで最も尊厳のある人物トーマス・ジェファーソンに関するスキャンダルであるがゆえに、彼女の存在は長い間歴史から抹消されてきました。
DNA鑑定とは
DNAとはデオキシリボース(五炭糖)とリン酸、塩基から構成される核酸のことを指します。
DNA鑑定は近年では犯罪調査や、血縁関係の鑑定だけではなく、作物や家畜の品種鑑定などにも幅広く利用されています。
DNA鑑定は殺人事件とともに技術的な発展を遂げてきました。現在では、「科学的証拠は客観的・中立的で極めて安定性が高い」とされていますが、比較の標本が少ないという理由から、あくまで裁判の証拠としてではなく容疑者の絞り込みや死体の身元確認に利用されています。
フォスター博士によるDNA鑑定
1998年11月に、元ヴァージニア大学のユージン・フォスター博士によって、アメリカ合衆国第3代大統領トーマス・ジェファーソンとその奴隷サリー・ヘミングスの子孫のDNAが一致したことが証明されました。
この結果は、通称「ジェファソニアン」と呼ばれる「ジェファーソン愛好家」たちをパニックに陥らせました。
細胞が分裂する時期になると、細胞核の中で変化が起こり「染色体」と呼ばれる棒状の物質が形成されます。ヒトの場合、1つの体細胞の中には46本の染色体が存在し、染色体の中の「性染色体」は「Y染色体」と「X染色体」に分けられます。
このYとXの組み合わせによって男性か女性かということが決まります。男性は母親から「X染色体」を、父親から「Y染色体」を貰い受けますが、女性は母親と父親から2つの「X染色体」を1つずつ貰い受けます。
つまり、男性の精子の中に存在する「Y染色体」に含まれる遺伝子連鎖群は、代々父親を通じて男子だけがそれを受け継ぐことができるということになります。
200年以上の時間と何代もの世代を経ているにもかかわらず、ジェファーソン家のDNA鑑定が可能だったのは、これらの理由によるものです。従って、直接の男性から男性へという場合は、多くの世代を経ても損われることなく直に続いていくということがわかります。
ジェファーソン家のDNA鑑定
DNA鑑定は最新の科学技術ですが、何世代も経たものを正確に鑑定することは難しいと言われています。女性の場合は「X染色体」しか持たないため、正確なDNA鑑定が不可能です。
主体が同じDNA引き継いでるという事のためには、同一血統内の息子の息子でなければならないということです。娘しかいなかったトーマス・ジェファーソンとマーサ・ウェルズ・ジェファーソン夫妻の子孫からはDNA鑑定は不可能でした。
1998年のDNA判定はジェファーソンの叔父の子孫から血液を採取することで行われました。ジェファーソンに男系の子孫が存在しなかったことから、奴隷サリー・ヘミングスが「ジェファーソン家の誰か」と血縁関係があったことが証明されました。
DNA鑑定の歴史的な意義
1998年11月に、フォスター博士によって行われたDNA鑑定によって、トーマス・ジェファーソンとその奴隷サリー・ヘミングスの子孫のDNAが一致したことは、歴史的に大きな意味を持つ出来事であったといえます。
このDNA鑑定以前、200年もの間、ジェファーソンの白人の子孫たちや歴史家の態度は、サリー・ヘミングスの相手はジェファーソンではないと主張することに一貫していました。
これはアメリカという国家が、黒人と白人が関係を持つことに嫌悪感を抱いてきたからだと考えられます。
ヴァージニアス・ダブニーや、デュマ・マローンのような権威あるジェファーソン研究者はじめとした多くの歴史家が、ジェファーソンとヘミングスの関係など全くありえないことで、それを口にする事は「歴史への冒涜」だと主張してきました。
ジェファーソンスキャンダルは、アメリカ合衆国ではタブーとされ、200年の長きにわたってサリー・ヘミングスの存在は闇に葬られてきました。アメリカでは、リスクを犯さずしてこの話を語ることができなかったのです。
これには「ヴァージニアの誇り高き男」が風俗を壊乱するはずがないとして、この物語を放棄してきたという歴史があります。異人種混合の罪まで犯して、ジェファーソンが黒人女性を愛するはずがないと、「白人アメリカ」は長い間信じてきたのです。
ジェファーソンの矛盾
ジェファーソンの奴隷制度をめぐる矛盾については以前から議論されてきました。彼は、自己のプランテーションにおいて200人以上もの黒人の「不可侵の権利」を剥奪しておきながら、なぜ「人間は不可侵の権利、幸福の追求を与えられており…」などと書くことができたのでしょうか。
ジェファーソンは独立宣言を起草した際に、イギリス国王ジョージ3世を「人間の本質に対して残虐な戦いをしかけた」ことで非難する一節を書き入れました。しかし、この一節は南部議会の異議により最終稿では削除されました。
またジェファーソンは、『ヴァージニア覚書』において、黒人は白人より劣っているいるということを示し、黒人への嫌悪感を露わにしています。
彼の矛盾は、若い頃には奴隷解放に力を注ぎつつも、黒人に嫌悪感を示す文書を書き、またその一方で黒人奴隷を愛人にしていたということです。
まとめ
サリー・ヘミングスの物語は、白人アメリカにとっては都合の悪い「アメリカ史」だったのだということがわかります。
第3代アメリカ合衆国大統領であり、独立宣言の起草者として、ジェファーソンはまさに「白いアメリカ」を象徴する存在でなければならなかったのです。
にもかかわらず、実は彼には黒人愛人奴隷がいて、彼女との間に子供までもうけていたかもしれないという可能性が、科学の力によって浮上してきました。このことは、最新の技術であるDNA鑑定が歴史的に大きな役割を果たしたということが言えます。
今回の記事を書くにあたって参考にした書籍は、バーバラ・チェイス=リボウの『サリー・ヘミングス―禁じられた愛の記憶』という本です。分厚くて読むのが大変ですが、ジェファーソンと奴隷制度について関心がある人は一読をおすすめします。
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